So-net無料ブログ作成

ブログを、 [もろもろ]

始めて間もないのに、休業してすみません。

反映させてませんが「どうして?」というコメントを幾つかもらっておりましたので
お答えしておきます。
大きく2つ理由があるのですが、
1つは個人的なやんごとなき事情により。

で、もう1つは
記事にできない内容ばっかりなんです。。。

どこかへ出掛けたり、写真が得意だったりすることは全く無いので
そういった綺麗な記事を並べることは難しく、
私が記事にできる内容は
所謂、
食事中&就寝前の方がご覧になったら
「うぇっ!!」
という内容だらけなんです。
それでもいいと言われても、守秘義務もあり記事にできませんし、
すみません。

何か新しい世界を見付けたら再開するか引っ越し先で綴っていこうと思います。

ということで、ご報告まで。

引っ越し [もろもろ]

ブログを。。。

いづこへ。。。

「春の雪」 [もろもろ]

私のお気に入りの作品。
と言っても、映画を見る習慣は全く無い。そのような者がまるでおすすめしているかのような論述は避けたいところであるが、とにかく好きな作品なので記すこととする。

原作は三島由紀夫の小説『豊饒の海』4部作の第1部にあたる同名作品。
監督は「セカチュー」で有名な行定勲。 
 ※「セカチュー」も観ていない(-.-)

岩代太郎の音楽が作品をより良く表現しており、実に心地いい。また、エンドロールで流れる宇多田ヒカルの主題歌も作品を壊すことなく、うまく「結び」と化している。
エンドロールで流れる曲が作品をぶち壊してしまっている作品を目にすることがあるが、これはうまくいっているケースだと私は思う。

時代背景を如実に表現した映像美も素晴らしく、色彩豊かな様に一層引き込まれ、ストーリーはわかっていながらも事ある毎に繰り返し見てしまう作品だ。

この作品が好きであるということを映画に詳しい知人に話したところ、撮影したスタッフである李屏賓(リー・ピンビン)というカメラマンの作品が私の好みかもしれないと教えていただいた。
ごく最近では「ノルウェイの森」を撮影したと聞き、早速観てみた。 
 ※これも原作すら読んだことがない(-.-)
確かに映像は美しいと思えるが、残念ながら再度観たいと思える作品ではなかった。

どなたかこの類の作品でおすすめのものがあれば是非とも教えていただきたい。



タグ:映画 春の雪
nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

孔子と音楽 [もろもろ]

先日、知人から「孔子は、音楽は究極の学問であると言っている」と聞いた。
孔子...
んー、学校の教科書に載ってたなぁ。そっち系は全然わかんない(?_?)
私は小説の類の書物が昔から大嫌いで、所謂名作と呼ばれているものも全く読んだことがない。
文学的才能ゼロである[もうやだ~(悲しい顔)]
でもさすがに、昔の偉人がそんなことを言っていたということがとても引っ掛かりネットで検索してみた。
我が強い性格のため、本来ならばどんな偉人が立派なことを言っていようが全く興味無しのところであるが音楽絡みということになるとさすがに気になり少しばかり読んでみた。
耳に痛い言葉だらけでもあった。音楽に関する箇所は少しだが、以下、抜粋のうえ自分のために引用する。

------------------------------------------
孔子の思想(教え) 論語より
                  (参照URL:http://www.fruits.jp/~k-style/sub12.html

一、
いにしえの良き教えを学びそれをいつも実践する、
それこそ喜びである。
朋(同じ教えを研究、学習する人)が遠くからでもいとわずにやって来る、
それは実に楽しいことである。
他の人が自分を正しく知って(理解して)評価してくれなくても、心に不満をいだいたり、まして怒ったりはしない。
それでこそ君子である。

良き(正しい)教えを理解できない他の人々の評価は二の次である、
一々気にすることはないと言っています。


二、
知っていることを知っているときちんと自覚して、
知っていないことは知っていないとはっきりと知りなさい(無知の知)。
それこそが真に知るということです。
この世に生きている人間には、よく理解出来ることと理解出来ないこととが存在します。
孔子は知らないことを知っているように思い込むことを戒めたのです。
ある時、弟子の一人に人間の死について問われたことがありました。
その時の孔子は「いまだに生についてさえよく知らないのに、どうして死について知っていよう」の様に答えています。

孔子は人(相手)を見て、その人に適した答えを返していました。
あるいは他の時、他の弟子には違った表現を用いて答えを返したことでしょう。
孔子は、人の死について軽んじていたわけでは決してないのです。
死者の霊魂、先祖の霊魂に対する真実(誠)の心を大切なものとして尊んでいます。

孔子は死者を弔(とむら)う儀式も、礼に従っておこたり無くすることをすすめています。
また一方で、必要以上に儀式にこだわって心が伴わないよりは、
たとえ形式に不足があっても、死者を心から弔う方がよい、
その思いがなにより大切であるとも説いているのです。
孔子は形式や儀式を大切にして怠りなく行うことを勧めています。
しかし、形式は人間のために作られたものであり、
何よりも人間の心(思い)こそを大切にするようにと説かれているのです。


三、
孔子は克己復礼(こっきふくれい)を第一に説いています。

己に克つとは、我執(私利私欲への強い執着心)から離れる(正しく自制する)ことを意味しています。
それは自分を粗末にすることにはなりません。
我執(自我の強い欲望)に振り回されない安定した自己を得ることになるのです。
それは真の自分自身を大切に慈しむ(愛する)ことにつながるのです。

礼に復るとは、礼(天の道理に則した、この世における人や社会に関する決まりや定め)に従うことを言います。

この世に生きている人間にとって己の欲(心身の欲望)を正しく制御することは容易には出来ません。
ある意味ではその欲が生きることを支えている場合もあるでしょう。

孔子は反面では(別の時)、自己を知る努力がなく、生きる意欲さえ持てなくて生きることに気力を無くしたり、自らの命を粗末にしたり、また無為徒食に生きていることを戒めています。
そのような生き方は、自分自身の生きる意味や希望(生命力)を失った生き方と言えるでしょう。

それ位なら娯楽の楽しみ等によって楽しんで生きている方がまだ(それよりは)ましであるとも言っています。
そのほうが、自分自身の生きる真の意味について、やがて知り得る可能性(気力)を持った生き方と言えるでしょう。

その時の孔子は、ひとまず一人一人がこの世に生まれた自分の命を、大切なものと自覚して生きることを説いたのです。
さらには、この世で一生懸命に、いきいきと正しく生きることを人々に勧めたのです。

真に人を慈しむ(仁の)心や行いを考えた時、
いつの時代においても、人の助けを必要とする人々、苦しい状況(貧困、心身の傷病、被災、社会上の問題、家族の問題)等に置かれた人々が存在します。
その人々に思いを向けない人が、己に克ち(我欲への強い執着心を離れ)人を慈しむ真に仁の人であるとは言えないでしょう。

仁を行おうとするなら、自分自身に由る(自分で考え、自分で決めて、自分で行動する)。
人に由らん(人の意思、行動に頼っていては不可能である)。


四、
孔子は、質問を受けたとき、多くの場合人(相手)を見て(観て)その人にあった答えを返していました。
人は、一人一人違った心と素質を持ち、違った経験と環境を持って刻々と変わるこの世の中に生きています。

当時は、音楽が政治の場面においても重要な役割を持っていました。
その意味においても孔子は音楽を大切なものとしたのです。
しかし、それ以上に孔子自身が音楽を愛し、楽しんだことが知られています。
音楽も文学と同じく人の情操、情緒や徳を育てる大切な教養であると感じていたのです。
孔子は、楽器の演奏に聞きほれたり、感動したりもしています。
自分でも演奏したり歌うことも好みました。
上手な人には、もう一度歌ってもらいその後唱和したとも伝えられているのです。
したがって孔子は、自分自身の体験もふまえた上で、良い文学と共に良い音楽が人を豊かに(幸せ)にする(人間形成にとって)大切なものであると言っているのです。

孔子は礼と楽を大切なものとしていました。
それは、たとえば子供たちが家庭や学校で、礼儀作法を習得したり、学習して知識を得たり、文学や音楽等の芸術を学ぶことに通じるでしょう。
孔子はそうした教養を代表させて礼と楽を上げています。
人として安定した行動を得るために、また人として豊かな情緒を得て成長するために、その重要性を説いています。

しかし、孔子はその前に(前提として)仁の必要性を説いています。
いかに礼儀作法に優れ、様々な知識を得ていても、文学や音楽や芸術、技術に優れていても(どのような教養を習得するとしても)、
仁(人を慈しむ心、慈愛、慈悲)がなければ、どうにも仕様がない(如何)と言っています。
人として、まず始めに人格形成(仁徳の修養)が大切(必要)であり、何より優先されることが示されています。
礼も楽も正しくその真価が生まれるためには、その基には人として仁が必要であると説かれているのです。


五、
孔子は言っています。「たとえ、粗末な食事をして水を飲んで、肘を枕替わりにして寝るような貧しい生活であってもいい。
楽しい生活はその中にもある。
道に外れたことをして、利益を得て富かになり、且つ貴いと言われるようになったとしても、
私にとっては、それはまるで浮雲のようにはかないものである」

cello_n.jpg
nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ラルゴ [音楽]

ブログのタイトルとしたLargoについて少しばかり触れる。

音楽で使用される速度記号の一つで「ゆるやかに」演奏せよという意味。
かなりゆっくりと低速に演奏しなければならない。音楽の教科書で解説されていることもあるのでよくご存知かと思われる。その意味から、ブログの更新はもとより人生も気長に送れればとこのタイトルとした。

また、ラルゴはヘンデル作曲のアリア「オンブラ・マイ・フ」の通称でもある。この曲の速度指示がLargoであることから2つの呼び方がある曲だ。

私は、もとは声楽専攻であるが、声楽を学ぶ一番最初の課程ではイタリア歌曲に取り組むのが一般的で(日本の場合)、そのイタリア歌曲集の第1巻に含まれているのがこの曲である。

人にもよるが音楽進学を目指す者にとっては中学の頃に取り組むメジャーな曲であり、初期の段階で取り組む教材として有用な曲ではあるが、実は難易度の高い曲である。

私の在住する地域では流れていなかったが、ウイスキーか何かの宣伝で25年くらい前にキャスリーン・バトルが歌っていたこともあり、そちらの面でご存知の方が多いのであろうか。当時、バトル自体熱狂的な人気があり、かくいう私もよく聴いていた。パヴァロッティなどと一緒にオペラブームが巻き起こっていた頃の話である。
実に懐かしく感慨深い。
何事においても歳を増すごとに感じ方が変わり、今では何故このバトルの声を気に入っていたのか不思議でならないが、ひたすら進学に向けてレッスンに通っていた頃を顧みることができる曲でもある。



nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。